●首里城の危機(しゅりじょうのきき)

首里城の古い石がき(下)と,新しい石がき(上)。

 1924(大正13)年3月のある日,琉球文化のよき理解者であった鎌倉芳太郎(かまくらよしたろう)は,首里城正殿がこわされるという新聞記事を目にしました。鎌倉は帝国大学の伊東忠太(いとうちゅうた)博士とともに工事の中止を政府にうったえ,とりこわし直前で破壊を食い止めました。
 また,1930(昭和5)年7月,首里城は台風被害で崩壊(ほうかい)の危機にみまわれましたが,文部省高官で国宝保存会の坂谷良之進(さかたにりょうのしん)と,文部省建築技師の柳田菊蔵(やなぎだきくぞう)がピンチを救いました。二人の働きで多額の修理費を獲得した工事は,1933(昭和8)年9月に完成しました。
 こうしていく度も危機をのりこえてきた首里城ですが,1945(昭和20)年には,沖縄戦で焼失してしまいました。現在の首里城は,1992(平成4)年,沖縄の本土復帰20年を記念して復元されたものです。



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