沖縄戦で米軍の捕虜となった人々は、各地に設置された収容所に送られた。有刺鉄線で囲まれた収容所では、雨露をしのぐだけのテントの中に押し込められ、わずかな食料で毎日を暮らさなければならず、マラリアや傷病で亡くなる者も多かった。
●収容所の場所
一般住民 |
中部の石川、前原、コザ、北部の辺土名、田井等、瀬嵩、大浦崎、宜野座、南部の糸満、知念の十ヵ所。 |
戦闘員 |
初めは嘉手納のキャンプに集められたが、北部の屋嘉収容所へ移された。 |
軍人はPW(Prisoner of War)、民間人はCIV(Civilian)の文字が書かれた衣服を支給された。1945年10月頃から軍用地として必要のない所から順次、居住地へ帰ることが許された。
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