フィリピンでは日本移民の経済力の発展が脅威に感じられていましたので、移民に対する反感も特別なものがありました。
日本軍は大平洋開戦の日、フィリピン・ルソン島、南部ミンダナオ島ダバオにある米軍施設を空襲しています。移民にとっては突然のことで、ほとんどがフィリピンおよび米軍による強制収容所に送り込まれてから気づいたのです。当時の日本移民は、約2万7千人といわれています。そのうち約70%が沖縄県出身者でした。
戦時中は日本軍の飛行場建設などで移民の多くが勤労奉仕として駆り出されました。女性、子どもも例外ではありませんでした。移民は現地との女性と結婚した者も少なくなく、混血の移民二世が日本軍の徴兵に応ぜざるをえないこともありました。
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