沖縄の工芸は、絣や紅型を始めとする多彩な「染織」と、沈金や螺鈿を発展させ堆錦を創った「漆芸」を中心に全国でも特有なものとして知られている。通 産大臣が指定する伝統工芸品の品目でも13品目に及び、新潟県と並び京都に次ぐ全国第2位 の位置を占めている。特に、織物は紅型を加えて11品目もあり全国でも類のない「染織文化の宝庫」と呼ばれている。
 沖縄の工芸が独自の個性を発揮しているのは、琉球弧の島々が日本列島の南端に連なりながら、個性豊かな地域として文化圏を形成していることが考えられる。
 14世紀末から16世紀の中期にかけて王国のもとで交易時代を経験したこと、また年間平均気温が23.3度、平均湿度が76%という亜熱帯の気候的条件が織物、漆器、紅型などのユニークな伝統工芸を生み出した要因である。
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 特に、歴史的背景は沖縄の工芸を大きく発展させた。交易時代に中国の品物を船に積み込み日本本土、朝鮮、東南アジアに出かけ中継貿易をしたことで、琉球には広くアジアの品物があふれた。そのなかで工芸も外国の影響を受け独自の技法を発展させたのである。
 沖縄の工芸の発展は、他の地域に比較してとくに琉球王国の経済的事情が大きく影響したことが伺える。王国内の需要は一部の陶器などに限られ、貴重な工芸品は交易品として活用されたのである。薩摩侵入(1609年)の後は薩摩への貢納品や献上品として工芸品を使用し、そのための生産システムを独自に発達させるまでになった。
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 織物や漆芸以外の工芸も多彩に発達した。琉球ガラス、木工、竹細工、琉球紙、民具、楽器なども特徴ある工芸として独自の発展をしている。
 琉球ガラスは戦後の廃虚のなかからコーラやビールの廃瓶を活用し、見事な新しいデザインが映える工芸として定着している。沖縄独特の手漉き紙として知られる芭蕉紙は琉球紙を代表するもので、18世紀初頭に登場し王国時代に広く使われた。芭蕉紙は1978年、復元に成功し注目を集めた。また、楽器づくりを代表するのは三線で、古い時代から名器といわれるのが作られた。これらの名器は現在でも博物館などで見ることができる。
 しかし独特な発展をした沖縄の工芸にも課題は多い。後継者の育成や安価な工芸品の県外からの市場進出などである。歴史と風土のなかから育んだ独自の工芸文化を守り育てる創意と工夫が求められている。
 沖縄の現代美術は、戦後石川市において結成された「沖縄美術家協会」が大きなスタートである。これは、戦後の美術活動を復活させた首里の美術村に移行する。美術村は、米軍の保護に預かった沖縄美術の歴史から本来の美術活動を復興させた。その後、沖縄の現代美術はマスコミ主催の沖展などの側面 的支援のもとで、裾野を広げていき現在に至っている。

◆写真提供: 浦添市美術館、社会福祉法人 沖縄コロニー