琉球は多くの小さな島々からなり、本島のみならずそれぞれ特有な芸能が生まれた。古くから海洋国家として歴史を形成し、14世紀末から16世紀半ばにかけては琉球王国の交易をもとに中国や東南アジア諸国、そして大和(日本)との交易を通 じて多彩な文化を吸収した。その影響のもとで琉球独自の文化を育くんだのである。琉球王国を中心にした王朝文化を開花させ、芸能もそのような歴史背景のもとでダイナミックに形づくられた。
 11世紀ころ、沖縄各地の野山で神歌が謡われるようになり、この「祈り」が芸能の源泉となった。古謡のウムイやオモロなどが誕生し、人々の生活文化を支えたのである。
◆ ◆ ◆
 やがて琉球王国が成立すると、沖縄の万葉集ともいわれる「おもろさうし」の編纂が行われ、三線の伝来、册封使の歓待という歴史背景のもとで、琉球古典音楽、組踊、琉球舞踊などの伝統芸能が大きく発展した。  中国から訪れた册封使の歓待や琉球にやってきた薩摩の役人を接待することが、国の仕事として考えられたので芸能発展の大きな契機となったわけである。
 明治以降は民俗芸能や古典芸能が、芝居小屋でも上演されるようになり舞台芸能として庶民に親しまれた。宮廷芸能は、大衆芸能のなかに入っていき底辺が拡大され変化もしていった。例えば、このころ生まれた「雑踊」は古典舞踊と民俗舞踊をもとにして創作されたものである。また民俗芸能や古典芸能は、沖縄全域にも浸透していき村の伝統行事などの一環としても取り入れられた。
 芸能の大衆化にともない舞踊や古典音楽の型にも微妙な違いがでてくるようになった。そこで流派も形成されるようになった。
◆ ◆ ◆
 戦争の終わった荒廃した社会に「島唄」も登場し、人々のこころをなぐさめた。島唄は、芝居の地謡で使われ、また、各地の民俗音楽を収集紹介した。それをもとに創作も行われた。
 現在、沖縄には琉球舞踊を教える舞踊研究所、琉球古典音楽や民謡を教える音楽研究所が数多くあり多くの人が親しんでいる。また、マスコミが中心になって芸能を支えるべく賞を設けるなどして一般 的にも盛んである。
 また、現在の沖縄音楽は戦後世代が伝統音楽の要素を取り入れたワールド・ミュージックの境地を切り開き、世界に注目されている。

◆写真提供:砂川敏彦氏、 (有)メルファースト、 社会福祉法人 沖縄コロニー