沖縄の住居
 

(有)匠設計代表 洲 鎌 朝 夫

 まず、一般的な赤瓦屋根の沖縄の民家をみてみよう。敷地の周囲は濃密なる福木の林で夏から秋にかけての度重なる台風から住家を守るようにできている。
 住家の配置の特徴的なのは、敷地の中央に位置付けていることで、北側の菜園或は若干の空地は主に午後の強烈な日差しを避けて、子や孫の遊び場として母屋の深い陰を利用する。
 母屋、アシヤギ(離れ)、籾倉(高倉)といくつかの赤瓦屋根の陵線は深い福木の緑との対比で美しい光と陰のコントラストをみせる。強烈な日差しと激しい風雨に拮抗するように雨端(アマハジ=深い庇)が重厚な屋根を涼感溢れる日影でくまどる。
 通りに面したヒンプン(屏風門)も儀礼的な意味あいの他に、風通しを考慮して、輪道を構成する知恵がうかがわれる。
 内部空間を眺めると床(とこ)のある一番座、仏壇が鎮座する二番座、中前がトングワ(台所)へと連なる。
 一番座(床の間)が家長の部屋となり、子女子は一番座、二番座の北側に位置する裏座があてがわれる。
 アシヤギ(離れ)は二世代住む時の嫡男夫婦の住戸であったり、青年達の交流の場ともなり、時として客間にも用いられたりした。
 フール(便所)は風下(北西)に位置するが、豚が飼われ、排せつ物を豚に処理させることで衛生的に臭気の消滅を計っていた。
 強大な台風を避けると共に、高温多湿の風土に通風を充分に考慮した先人の智恵が色濃く残っていて、太陽光線の時折の移ろいに福木の深い緑と重厚な赤瓦が美しい色彩の対比をみせる。
 集落全体は竹富島や伊是名島にみられるように、豊かな縁陰のなかに様々の赤瓦屋根の陵線が強烈な太陽光線の下で美しい表情を醸し出している。
 戦後は、コンクリートの普及で、耐風性の強靱さから木造赤瓦屋根は影をひそめているが、コンクリート勾配屋根に赤瓦を化粧し、景観的に、地方色を演出する傾向が著しい。
 赤瓦でローカル性を出すのはよいが、本来の木造赤瓦屋根のバランスを省みない、安易なコンクリート建築は、決して美しいものとはいえず、近年、先人の智恵に学ぶ建築家や若年層の住まい手の審美眼に期すること大である。